image_01

江戸時代後期から明治時代初期にかけて、伊那谷では人形芝居がたいへんな盛り上がりをみせました。長野県内で人形座の確認できるところは三一箇所を数えますが、今も活躍する今田・黒田(飯田市)、早稲田(阿南町)、古田(箕輪町)の人形四座を含めて二八箇所がこの地に集中しています。山峡ながら日本の東西文化の接点に位置するなか先取の気質に富んだ伊那谷の人びとは、人形芝居を産土神(うぶなすがみ)への奉納芸として、あるいは娯楽芸として上演していたのです。桐林人形は、早くに上演の途絶えた人形座で、かしら五〇点をはじめ、多くの衣装がのこされています。しかし、上演を記した文書は未だ見つからず、謎の多い人形座の一つです。